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ほいくえVoice

(特別号)【経営者Voice vol. 12前編】保育は息が長い仕事

更新日:2023.9.11|2(2週間) / 132(累計)

林檎酢さん
30代 保育士歴8年目
子育て支援施設 経営者
 
―林檎酢さんは7年ほど保育園で働き、現在は子育て支援施設を経営されているのですよね。保育士になろうと思ったきっかけからお伺いしたいです。
 
保育士になりたいと初めて意識したのは高校生のときです。家政科の高校に通っていたので、被服、調理、保育も学んでいました。保育に興味を持ち保育士のなり方を調べると、養成校で学ばなければならないらしいということがわかりました。当時わが家の家庭事情で進学することは絶対に無理だったので、一旦保育士になることは諦めました。
 
―そうだったのですね。高校卒業後はどうされたのですか?
 
特待制度を使えば私でも進学できるということがわかり、大学で文学を学ぶことにしたのです。保育ではなかったですが読書も好きで、当時は特に川端康成を愛読していました。
 
―たくさん悩んで、動いて、考えて決めた進路だったのだろうと想像します。大学生活はいかがでしたか?
 
上京したら出会う人の数が一気に10倍以上になり、とても刺激的でした。その中で、今もライフワークになっているダンスに触れました。「踊ってみた」に参加して、夜行バスに乗り、遠征を重ね、ネカフェで時間を潰し、帰ってきて大学の講義に出るような生活でしたね。ひょんなきっかけから出会ったダンスでしたが、私にとって大きな財産となりました。
 
―林檎酢さんの「踊ってみた」、私も観てみたんです!キレッキレでとてもかっこいいです。保育の世界とはどのように関わりを持ったのでしょう?
 
大学卒業後は企業で勤め、結婚を機に退職しました。その後近所の保育園でアルバイトを始めたことがきっかけです。
 
―高校時代に保育士になりたかったことを思い出したから、というのもあったのでしょうか?
 
「そういえば保育園で働きたかったな」と思い出していました。無資格の保育補助として入職して、妊娠出産を経て、さらに働きながら国家試験で保育士資格を取得し、のべ7年ほど在籍していました。
 
―林檎酢さんは2児のお母さんと伺いました。ママ保育士としても働かれていたのですよね。
 
入職時はアルバイトでしたが、正規職員としても勤務しました。正規職員として、担任として保育するのは本当に大変でした!!あくまで私のいち経験からですが、我が子が3歳になるまでは正規職員として働くのはとても難しいことなのではないか…と思っています。
 
―林檎酢さんが痛感した難しさ、大変さをお伺いしたいです。
 
お熱が出たらもう、絶対にすぐ帰らなきゃいけないですよね。シフト制のお仕事なので、特にペアの先生には大変申し訳なかったと思っています。それと持ち帰り仕事もあったのですが、どう頑張っても小さな子どもを育てながらだと、23時から作業に着手するのが当時の生活リズムでした。持ち帰り仕事なしの保育園ももちろんありますが、それはそれは辛かったです。
保育のいいところは、個人の出産や育児の経験がキャリアの断絶にならないところだと考えています。ライフステージに合わせて一時的に働き方を軽減したり休んだりしたとしても、中長期的に見たら子育て経験が活きてくる仕事です。職場から離れることが、キャリアの停滞にならないはずです。営業職だと取引先が変わるとか、技術職だと技術が刷新されるとかありますが、保育はそういったことの影響もそれほど大きくないのでは?と。
 
―とても新鮮な着眼点だと思いました。
 
お母さんになった保育士さんの寄り添い方、温かさはその人の新たな持ち味にもなります。一方でママ保育士として働くのは大変ですし、心身壊したら元も子もないと思っているので、無理はしないでほしいですよね。
 
林檎酢さん、とてもリアルなお話をありがとうございました!
後編では起業したときのお話、やりたいことの見つけ方などをお伺いします。
 
【林檎酢さん×保育のひとコマ】
お子さんとのお写真と、ダンスをしているお写真を提供いただきました!どちらもとても素敵です。
 
 
林檎酢さんのX(Twitter)Instagram踊ってみたはこちらです。
 
(2023.6 聞き手・編集:鏡味)
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