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認可外保育所ガイド

0歳〜6歳の教育園《ラバント世田谷園》2020年4月八雲自由が丘園開園お知らせ

お知らせ・イベント

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  • 老人を敬愛し、長寿を祝ういろいろ

     敬老の日は、昭和40年(1965)、「長年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」として国民の祝日と定められた。現在では、九月の第三月曜日がこの日に当てられている。
     
     人はみな赤子として生まれ、子供となり、青年となり、やがて老いて斉しく死を迎える。老人は、社会的な活動を終えた者の姿である。文明が未開であった頃の老人は社会的には無用どころか邪魔と考えられ、山に捨てられる風習が一部にあった。これが棄老であり、姥捨伝説になる。

     この考えが改められ、老人を功労者、恩人として遇するようになって養老、敬老の考えが広まった。老人は、苦しい時代の文化を担い、築き、子孫のために力を尽くしてくれた大恩人であり、「敬愛し、長寿を祝う」のが本来である。

     60歳を祝う「還暦」、70歳を祝う「古稀」、77歳を祝う「喜寿」、80歳を祝う「傘寿」、88歳を祝う「米寿」、90歳を祝う「卒寿」、99歳を祝う「白寿」などいずれも大切にしたい。


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    2020.08.06更新

    七夕に込めれらた浪漫いろいろ

     七夕と書いて「たなばた」と読む。これは「七月七日の夕方」という意味である。「たなばた」という言葉は、「棚機津女」(タナハタツメ)に由来する。棚機津女は、川辺で機を織りながら神の訪れを待つ少女である。この織物は神御衣として天帝に捧げられる。

     さて、この棚機津女が年頃の美しい娘となり、天の川のほとりで仕事に励むのを見た天帝は天の川の対岸で働く牽牛という若者と結婚させることにした。二人は幸せな結婚生活を送るのだが、結婚の楽しさと幸せの余り、本来の仕事を怠るようになる。

     これを見た天帝は怒り、二人を引き離してしまう。織女つまり棚機津女は悲しくて、淋しくてやりきれない。そこで織女は泣いて天帝に詫び、二人の逢瀬を許してくれるように頼む。これに憐れを催した天帝は一年に一度だけ七月七日の夜の逢瀬を許す。

     諸説が交じり合って大体右のような話が出来上がってきたようである。七夕の夜は愛し合う男女が一年に一度だけ許される逢瀬なので、人々はこの話に心を寄せて二人の出会いを祝福する。その思いを笹竹の短冊に記して表すのである。

     七夕の行事にはお盆の考えを入れる所もあり、民族学辞典などによって調べれば更に豊かな浪漫の世界に誘われるだろう。


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    2020.08.05更新

    父親を尊敬し、称え祝う日いろいろ

     父の日は、1934年に米国のニューヨークで全米父の日委員会が結成され、1972年に公式の祝日となったものだ。父の日は、「父親を尊敬し、称え祝う日」である。日本では1955年頃に導入され、戦後浸透し、現在では全国に広まっている。

     日本には1986年に設立された「日本ファーザーズ・ディ委員会」がある。同委員会は「新しい父親像の構築と父権の回復、再認識を進め、これからの家庭の在り方に対する問題を提起する」ことを目的として様々な活動を展開している。

     同委員会が毎年実施している「ベスト・ファザー授賞式」は既に32回を超えているが、その「選考基準」は次の通りである。ここから同委員会の考える「素敵なお父さん」像が窺える。

    ① 明るく楽しい家庭作りをしている父親
    ② 父親学の実践者
    ③ 厳格な躾をしている父親
    ④ 子供達の良き理解者、良き教育者
    ⑤ お母さんと子供から見た、素敵なお父さん
    ⑥ 社会の福祉に貢献し素敵な父親像をアピールしている人
    ⑦ ユニークな子育てをしている父親など。

    それぞれの家庭の父親が、この「選考基準」によって自分自身の父親としての在り方を省みる鏡ともなれば幸いだ。

    2020.08.04更新

    子供の大いなる成長を祈る祝日いろいろ

     「端」は初めての意で、「午」は午の日、つまり「月の初めの午の日」が端午である。「午」は「五」に通じるので五月五日が端午の節句となった。この日には邪気を払う薬草の菖蒲や蓬を軒に刺して男児の成長を祈り、祝う。

     現在のこどもの日は、昭和23年(1948)に国民の祝日として「子供の人格を重んじこどもの幸福をはかるとともに母に感謝する日」と定められた。本来は、男女の別なく子供を大切にする祝日だが、長い習慣で三月三日は女児の、五月五日は男児の祝日とされている。

     若葉を背景に勇壮な鯉幟が空に踊るのは日本の美しい風習の一つだ。鯉は滝を登って龍になると言われる。我が子の大いなる出世と成長への願いを託した伝統行事である。

     母の日は、米国で始まった。「母親に感謝をする日」である。日本では、大正時代の終わり頃から婦人矯風会が母の日を提唱し、戦後になってから広く普及した。

     母親への感謝を表すプレゼントとして使われるカーネーションの花言葉は「母の愛情、女性の愛、清らかな愛」などであり、母性愛を強く象徴する花である。


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    2020.08.03更新

    入園、入学を祝う四月いろいろ

     桜が満開となる日本の四月は、入園、入学を祝う儀式が各所で行われる。四月は晴れやかな門出の月である。人の一生で、別の階段に移る際に執り行われる儀式を「通過儀礼」と呼ぶ。

    誕生、成人、結婚、死などの折りがそれに当たる。入園、入学などもこれに準ずる大切な行事である。

     子供の成長の証となり、新たな階段に加入していく節目になるので加入礼などとも呼ばれる。いずれも公的な、伝統的な行事なので、それぞれの園や学校では心を込め、趣向を凝らし、新入の子供達を迎える。

     子供達は、この関門をくぐって入り、やがて卒園、卒業という節目にその関門を出て行く。そして、更に新たな段階へと進んでいく。このようにして、歳々年々子供達は大きくなり、立派な社会人、国民として成長していく。

     これらは極めてめでたく、喜ばしく、かつ意義深い儀式である。それ故にこそ、家族は申すに及ばず、親戚、一族にとっても挙って祝うべき慶事とされているのである。記念の写真を撮ったり、祝賀の集いを持ったりすることもまた意義深いことだ。

     多くの人々に祝福される期待に応え、立派な社会人となり、国民となって国家社会への報恩、貢献を具現させたい。


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    2020.07.31更新

    女児の成長と幸せを祈る雛祭りいろいろ

     気候の変わり目の祝日を節と言う。節会、節句、節日も同義である。節句は年に五回あり、人日(1/7)、上巳(3/3)、端午(5/5)、七夕(7/7)、重陽(9/9)がそれである。本来は陰暦初めの巳の日が上巳であるが、現在は三月三日が当てられて女児を祝う雛祭りを行っている。

     女の子が産まれて初めての節句を「初節句」と言い、嫁方の親が「子供の災いの身代わりとなってくれるように」との思いを込めた雛人形を贈る風習があった。これがお雛様の起こりであり、ちょうど桃の花の咲く頃なので桃の節句とも言う。厄除けとなる桃の花、体から邪気を払う白酒、香りが邪気を払うとされる草餅、健康を祈る菱餅、三食の雛あられなどが雛人形に供えられる。
     三色は雪の大地の白、植物の芽吹きの緑、生命の桃色が配され、菱餅もこれに因る。

    元々は、人形は紙で作り、祭りが終わるとそれを川に流す流し雛の風習があった。しかし、江戸時代から川の汚れが問題にされ、雛壇に飾る雛祭りの形になってきたようである。

     いずれにせよ、女の子の健やかな成長と幸せを祈り、お祝いをする美しい風習が雛祭りであり、長く続くこの行事を大切にしたい。


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    2020.07.30更新

    紀元節から建国記念の日へいろいろ

     建国記念の日は「建国をしのび、国を愛する心を養う」国民の祝日として昭和41年(1966)に制定された。二月十一日の建国記念の日は体育の日、みどりの日、こどもの日などと同様、建国を記念する日として、この日を国会で決定したことを示す名称である。

     二月十一日は、神武天皇が日本の初代の天皇として即位された日である。この即位の初日を日本国の紀元とし、終戦まではこの日を紀元節と呼んだ。全国の神社で紀元節祭が行われ、学校でも祝賀の式典が挙行されていた。家々では日の丸を掲揚し、国を挙げてこの日を祝っていた。

     戦後はGHQ(日本を占領した連合国軍総司令部)により「天皇を中心とする日本人の団結力」を高めないようにと、紀元節が廃止された。しかし、やがて日本国民の間に建国を記念する日を制定すべきだという機運が高まり、昭和41年に制定されたものである。

     神武天皇が即位される経緯は、日本の古代歴史書『日本書紀』に記されている。現在では、神武天皇は「起源伝承上の天皇」とされ、伝承では高天原から降臨したニニギノミコトの曽孫にあたる。日向の国の高千穂宮を出発し、諸国を平定し、奈良の橿原野宮で即位された、とある。


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    2020.07.29更新

    人は常に幸福を神に祈るいろいろ

     正月は、年の始めを言う。三日までを「三が日」、七日までを「松の内」と呼び、ここまでをお正月とする。園や学校もここまでを冬休みとし、八日を始業式とする所が多かったが、今では地方によって違いがある。

     お正月は、その年の豊作や幸福を司る歳徳神(歳神、年神、若年様とも)をお迎えし、お祀りする日本最古の年中行事である。歳神様は一年を幸せにしてくれる神様であり、どの家でも挙って歓迎する。門松、注連飾り、鏡餅などを飾るのは心から神様を歓迎する心の表れである。

     様々な物品が庶民の手にも入るようになった江戸時代から、このような風習が広まったようである。

     「おめでとう」は「芽出度い」、つまり新しい春を迎えて木や草の芽が出るのはまことに喜ばしい、という意味である。元来は歳神様を迎える祝福の言葉であったが、次第に人々の間で交わし合い、お互いに新年を喜び合う挨拶後として定着するようになった。


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    2020.07.28更新

    日本の伝統行事いろいろ

     伝統行事は、長い歴史に磨かれた、日本の尊い文化です。
    大切に守り伝えて行きましょう。

     ある民族や社会が長い歴史を通じて培い、伝えて来た信仰、風習、制度、思想、学問、芸能などを伝統と言う。それらの中核的精神を指す場合もある。遠く、長く、古い歴史を持つ日本は、その歩みの中で様々な風習や制度や思想を生み出し、形造ってきた。

     我が国は、気候的にも最も生活しやすい温帯にあり、春、夏、秋、冬の四季がそれぞれにふさわしい彩を見せてくれる。日本人は天地自然との共生、共存の精神に富み、大自然との調和の中で様々な行事を生み出してきた。

     それらの処暑の行事には、それぞれに固有の願いや祈りや祝福や感謝が込められ、長い歴史に磨かれて今日に伝わる。これら「日本の尊い文化」の価値を十分に理解し、大切に守り、育て、今後にも伝え続けていきたい。この一点は日本人として改めて確認してきたいことである。

     今に伝わり大切にされ、かつ私達の大きな楽しみともなっている代表的な行事を取り上げ、その狙いや価値を音読しやすい文章に載せて紹介する。


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    2020.07.27更新

    異名の語源と由来には諸説いろいろ

     現在の太陽暦は、太陽の運行に沿って西洋で作られた。これを新暦と呼び、日本では明治五年(1872)から採用された。これに対して、古来日本で行われていたのが太陰暦(旧暦)である。月の満ち欠けを基本として、太陽の運行を考えて修正を加え、季節とのずれを少なくした歴である。

     「十二か月の異名」は、旧暦を用いた頃の各月の異称であり、現代でも親しまれ続けている各月の呼称である。
     睦月は、「睦び月」で、親類や知人が仲睦まじくする意。
     
    如月は、「着更着」(寒いので重ね着をする)説が有力だが、草木の生え始める「木更木」説もある。

     卯月は、「卯の花の咲くころの月」とする説が有力。

     皐月は、早苗を植える「早苗月」が約まったとされる。

     水無月は、この頃になると、田に水を引く「水の月」の意。

     文月は、書道の上達を祈った七夕に因み「文披月(ふみひらづき)」が転じたとする説が有力。


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    2020.07.22更新

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