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親育(虐待について)

更新日:2023.11.17|33(2週間) / 103(累計)

親育(虐待について)
少々、胸が痛い内容ですが、「虐待」についてのお話です。
関係ないではなく、知識として、また客観的な知見を学ぶのも悪くないのではと思い、本日はこの内容にしました。

児童精神科医の滝川一廣氏は、日本の子育ては全体として見れば高い水準にあると言います。 ただそのコスト (物理的にも心理的にも) の大半は親にゆだねられているのも、日本の特徴であると指摘します。

子育てというのは次世代を育てるという社会的営みであるにもかかわらず、 それを親に丸投げしているのが今の日本なのです。 親がその負担を背負いきれる間は、 手厚い養育がなされるのですが、
なんらかの事情で親からその力がそがれると、一気に養育の質が低下してしまいます。
滝川氏はそのギャップが、 日本の虐待問題の本質だと言います。 ひとたび虐待が起こると、 社会は親に非難の目を向けます。 虐待の原因は親にあり、親を責めれば虐待がなくなるかのようにです。
最近は児童相談所の対応などが問題視されるようになりましたが、 やはりそれも児相に責任を押しつけているだけです。

子育ては親だけがするものではなく、社会が支えるものです。 子ども虐待の増加は、社会が親を支えきれなくなっていることの表れとして見ることもできるのではないでしょうか。

虐待してしまう親
どのような人が虐待をしているのか
主たる虐待者で最も多いのは、実母 (48.5%) です。 次いで実父 (38.9%) となります。 メディアで取り上げられる虐待事件などは継父が加害者となっていることが多いので、そのイメージが強いことが理由のようですが、
実際、継父は6.2%に過ぎません(→虐待事件)。
西澤氏は、虐待をしてしまう親の特徴として、 「体罰の肯定」「子どもからの被害の認知」 「自己の欲求の優先」 を挙げています。 体罰を肯定する親は、自身も体罰を受けており、 体罰を肯定することで、自分の人生を肯定しようとしていると考えられます。 「子どもからの被害の認知」とは、子どもという存在や子どもの問題に困らされているという考えです。

「自分のことを馬鹿にした目で見た」とか、子どもの泣き声が 「自分を責める声に聞こえる」といったように、子どもからの非現実的な被害を感じてしまうのです。
この傾向はネグレクトの親に見られるものだとしています。
「自己の欲求の優先」 とは子どもの欲求よりも自分の欲求を優先してしまうことです。 本来は自分の欲求を棚上げして子どもの欲求に応えなければならないのですが、親の欲求が満たされていないために、
自分の欲求を優先してしまうのです。

腑に落ちるところと、そうかな…と感じるところは人それぞれでしょう。母親も人間ですから苛立つこともあります。
しかし子どもの素直さは日々の関りから構築されるものであり、自己肯定感を丁寧に育んでいれば、多少の難は乗り越えることができると私は信じています。

本日もありがとうございました。

ラバント保育園
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